POST PERFORMANCE TALK with SATORU KIMURA (Dance Critic) 01.04.2018
Japanese transcription
東京公演アフタートーク 2018年4月1日
ゲスト:
木村覚 (きむらさとる)
1971年千葉県東金市生まれ。美学研究者、ダンス批評。日本女子大学人間社会学部文化学科准教授。近代美学を専門としながら、コンテンポラリー・ダンスや舞踏を中心としたパフォーマンス批評を行っている。2017年までartscapeにて身体表現のレビュー担当。主な著作として『未来のダンスを開発する フィジカル・アート・セオリー入門』(メディア総合研究所)がある。2014年より「ダンスを作るためのプラットフォーム」BONUSのディレクターを務め、フレッシュなダンス創作の種を撒いてきた。
ハラサオリ(以下、ハ)「改めまして本日はご来場いただきありがとうございました。演出・構成・出演のハラサオリです。トークゲストはダンス批評家の木村覚さんです。よろしくお願いします。」
木村覚さん(以下、木)「よろしくお願いします。」
ハ「何からお話しましょう、打ち合わせもしていないので。」
木「終演後は即物販までやるんですね(笑)」
ハ「(笑) いや、本のナンバリングが終わっていなくて…。」
木「大活躍ですね。お客さんもたくさんいて、非常に注目の高い公演だったんだなと感じています。10日くらい前に一度お会いして、1週間前にリハーサルも母校でされていた所にお邪魔したんですよね。」
ハ「そうですね、私の高校でやっていました。」
木「それからこのプロジェクトの情報を調べたりして今日本番を迎えたわけですけど、何から話そうかな。まずは、本当に驚きました。ダンス公演、とかコンテンポラリーダンスを見慣れている方ばかりではないと思うので、面食らった方もいらっしゃったのではないかと。」
ハ「そうですね、ちなみに私の公演ご覧になったことがある方ってどれくらいいらっしゃいますか?」
会場(挙手)
ハ「あ、半分くらいですね。今回出演者が多いので(13名)、私の作品を初めてご覧頂く方も多いのではないかと思いながらやっていました。」
木「なるほど。最初に、僕なりの結論というか感想を申し上げると、これはダンス批評のダンス作品だなとすごく思いました。」
ハ「ダンス批評のダンス作品。」
木「そう。この原健さんは、お父さんでありながら幼少期は一緒に過ごしていなかったというわけですよね。そのお父さんの最期の数年、交流する機会があり、その一部として会っている時の音声を『一つの小さな演劇作品』として扱ったりとか、端々に「記憶の改竄」という言葉が散りばめられている。父と娘の出会いという一見ハートフルなものなのかな、という予感もしつつ、それが相当違うところへどんどんとずれ込んでいく。その記憶の改竄ということころに象徴される『ハピネスへ向かって行く力としてのダンス』というのは、僕らがダンスというものを考えたときにひとつの解釈として出てくると思います。細かいことはいいじゃないか、ハッピーでいられたら、というような何事も明るい方へ解釈していくとか、幸せ、嬉しいことへ感情を仕向けていく力。そうしたものを取りあげつつ、単に批判や肯定をするわけではなく、見つめるという作品になっている。それはすごいなと…。怖いことでもある。
©️bozzo (Tokyo)
©️Sylvia Steinhäuser (Berlin)
お客さんの中にはダンスの公演と思っているから、何かハピネスを感じたい、あるいは少なくとも結論ではハピネスが示されることを期待していた人もいるかも知れない。でもちょっと違うんですよね。ダンスを踊りながら、ダンスとは一体なんなのかを問う。父がダンサーであり、彼と向き合わざるを得ないハラさんが、ダンスを巡ってこのような作品を作ったことに驚きました。これは単なる思いつきでは出来ないことだと思います。10日くらい前に一度お会いして話しましたが、ドイツでの留学経験の中で、舞台芸術をどのようにこしらえるかという方法論について相当考察した末の一つの成果なのだと思います。それで、どこから聞きましょう。」
ハ「そうですね…。」
木「ダンスって…好き…?」
会場(笑)
ハ「(笑) 一度彼女(アシスタント)の紹介をしてもいいですか?この質問の答えに関して非常に重要な役割を担ってくれた人でもあるので。彼女は島岡優里というのですが、リハーサルディレクターとしてあのミュージカルダンスのユニゾンパートをバキバキに仕上げるという、私と作品にとって非常に重要な役割を担ってくれました。この役割分担をしている時点で、私にとってのダンスというのがとても明快になったんですね。あのパートに関しては文化史のサンプリングのようなつもりで扱っていて、その「ダンス」を彼女に外注するような感じだったんです。彼女は昨年2017年の6月ごろベルリンでこのプロジェクトを開始したときから一緒に作ってくれています。当時まだ何も形になっていないコンセプトだけの状態でも『このダンスパートを仕上げて欲しい』という風に最初から頼んでいました。
それで、ダンスを好きか、という質問の回答に繋げたいのですが。このダンスに見られるような、カウントで周囲と揃えて、グワッとボルテージを上げて仕上げていくようなメンタリティや、肉体的な快楽で動くということが私はとても苦手です。5,6,7,8!!!というノリにいつも0.1秒遅れてしまうところがあるんですね…。あの高校をなぜリハーサルに使えたかというと、私は中高一貫校でダンス部だったんですね。創作ダンスというジャンルで、コンテンポラリーとも全く違う、30-40名で完璧に揃えて踊るという群舞の世界です。しかも女子校の部活なので、年齢のヒエラルキーもすごくて、先輩の前は視界を邪魔しないように伏せて通るとか、話を聞くときはルルベをするとか…。常に何十人で『こんにちは!』とか『ありがとうございました!』とか言わないといけない環境で育ちまして。」
木「その先輩は今日来てないんですか?(笑)」
ハ「あ!いるかも知れない…!すいませんでした…!」
会場(笑)
ハ「すみません…でもそういう環境で私はいつも出遅れていたんですね。それで私のせいで学年全員が謝らされるようなことが何回もあって、そういう集団行動や規律にがうまくできない、ついていきたいのに、というトラウマがあるんです。つまりあの輪に入れなかった部外者のような視点から、サンプリングとして仕上げてもらうという発想が生まれたのだと思っています。自分の個人的な美意識とは完全に違うボルテージのものを取り込むという。だからダンスが好きかという質問に対しては、ダンスとは何かというところへ遡らなければならないのですが、少なくともそういった集団的快楽へのモチベーションはないと思います。」
木「サンプリングという言葉が出て来ますが、僕としては『』付きのダンスというか、素で受け止めてはいけない曰く付きのダンスという印象でした。島岡さんはこの振付を行う際にそうしたアイデア共有していたと思うのですが、どういう風に進めましたか?このハラさんの発想自体があまり普通ではないと思うのですが。」
ハ「あ、振付は映画からの抜粋なので、リハーサルでシーンを仕上げていく上で、ということですね。」
島岡(島)「参加にあたっては、ハラさんが何をやりたいかということを最優先にしようと思っていました。この振付のリハではエネルギーを揃えることを重視して、前に前に、空間へ空間へ、目立ちたい!というエネルギーが欲しかったです。」
ハ「そうですね、私が彼女とダンサー達に頼んだのは、全員が原健であることでした。全員が『俺!』で、舞台の上での輝きと、スポットライトの当たっていないところは無視!というメンタリティで行こうと話していました。」
木「実際にそれをダンサーたちにやってもらうという時に、どんなやりとりがありましたか?」
島「日本公演でいうと、みなさんとても協力的で、私やハラさんの言ったことをひとつひとつキャッチしてくれてとてもやりやすかったです。最初はとにかく振りを渡して、エネルギーを揃えて、細かい角度を合わせていくという手順でした。その上で当時のスイングダンスというテイストを入れたり、いろいろ試しました。」
木「当時、50年くらい前だと、これは最先端、流行のダンスなんですよね。『アスファルト・ガール』の『アスファルト』も、最先端の舗装技術の象徴ですよね。ただ、いまのダンサーたち、特にコンテンポラリーを踊ってきた上でこの作品に参加した人たちとってそれは馴染みがないですよね。
ハ「そうですね。」
木「僕はそれが面白かった。ある種の幽霊性を感じさせるシーンやダンサーたちなのだけど、バキバキに自分の中に内面化して黙っていても踊れるくらいになっているよりは、その馴染みのなさが距離を置いて踊っているように見えてよかったです。」
ハ「そうですね、確かにこのシーンに関して、本物のミュージカルダンサーに出演してもらうというのは違ったと思います。ダンサーたちに渡しているタスクというのが、二つありました。ユニゾンのシーンと、インプロのシーンです。ユニゾンは完璧に揃えるというもので、インプロというのは作品の中盤と一番最後のシーンですね。あれは普段私がインプロの中で考えている間の取り方や、距離の捉え方、形の選択の仕方を、ワークショップのようなものを通してダンサーたちに渡したものなんです。カウントで合わせるのではなく、いま何が起きているかを把握しながらその場で選択していくというものです。だからこの二つのタスクというのは分脈として完全に対極にあるんですね。これはコンテンポラリーを嗜んでいないと難しいと思います。」
木「なるほど」
ハ「私のそのカウントで合わせるダンスというものに対する目線も、彼女たちは理解をしてくれています。ベルリンの時も同じで、前時代風なダンスをやってみる、というところからスタートして、こうしたら、ああしたらそれっぽいんじゃないかといろいろ試しました。それは両方のプロセスで同じだったのですが、さらに次の次元にいくと、両チームではっきりと違いが出てくるんですね。
ベルリンという都市の特性によるものではあるのですが、ベルリンチームは15名で、ドイツ、フランス、フィンランド、スペイン、イタリア、スイス、台湾、韓国、アメリカなど、国籍も違えばバックグラウンドも違いました。一方で日本チームは、基本的な社会状況は共有できますし、ベルリンチームよりも作品内のコンテンツ(会話や文化など)を深く理解してくれていたと思います。あとはほとんどの人がバレエを通っている。これは日本で10代またはそれ以下でダンスを始めようと思った時にコンテンポラリーから入る環境というのはあまりないんですね。そう言った意味では基礎的な身体言語をすぐに共有できるというのがありました。もちろん彼女(島岡)が仕上げた部分は大きのですが、日本チームに関してはそれに加えて、ダンサー同士がとても複雑なコミュニケーションを取りながらみんなで勝手に揃っていく。日を追うごとに自動補正がかかっていくように、同じ形になっていくんです。
それは本当に助かった部分でもあるし、興味深いところでもありました。ベルリンに関しては、『君が違うんだよ』と言わないと揃わない。君だよ、ヨスが違うんだよ、ナタリアが違うんだよ、ナタリアの個々の部分のこの角度がこれくらい違うんだよ、と言わないといけなかった。逆にインプロの部分は相当楽しんでやってくれましたね。放牧。」
会場(笑)
木「自分なりのアイデアが出てくると(笑)」
ハ「そうですね。いいものが出たら、それいいね!と採用して、ちょっと奔放すぎたら、それは私のコンセプトからズレる、という感じで、最後のインプロはベルリンチームと一緒に作ったところがありますね。それを通して、メソッドだけでなく伝わりやすい言葉の選び方や順番も精査していきました。とにかくふたつのチームの得意不得意や、能力の質感が違うというのがとても興味深かったです。」
木「もう二つお聞きしたいことがあって、今「自動補正」という言葉が出てきたのが面白いと思って、つまりダンスをある種の映像的に見ているというかテクノロジーバイアス的に見ているところがハラさんの中にきっとあると思います。端的に面白かったのはアスファルト・ガールの女性陣のシーン、映画のダンスの前で実際のダンスが踊られていたところですね。踊っている人がただ踊っているのではなく、ある意味合いを込めた上でそれを示すがために踊る、つまり踊りがオブジェのように使われているのが面白い。自ずと50年前の若い女性たちと、今の女性たちの身体性の違いとか、そのダンスが持っている想いの違い、解釈の違いが如実に出る。ああいう映像の扱い方はすごく新鮮ですね。そういう試みは案外ないんです。映像としてダンスを考えるということは僕なりには重要なことだと思うので、今回のハラさんのそういうアイデアはとてもいいと思いました。どうしてこんなことができたんですか?どういった発想なんでしょうか。」
©️bozzo (Tokyo)
©️Sylvia Steinhäuser (Berlin)
ハ「うーん、そうですね。発想…。」
木「自然と思いつくの?」
ハ「まず、私は普段『ダンス』より『パフォーマンス』と称した作品を作っているので、正面性がないことの方が多いんですね。それでいつも気にしているのは『サイトスペシフィックであること』なんですけど、それはその場所でしかできないこと、建築条件に沿った振付をするということですね。このBUoYという会場は制限が多くてそうせざるを得ないのですが、そうした意味だけではなく、自分の発見した空間的な隙間に対する振付みたいなことを考えたいと思っています。例えば私はデザイン科の修士もパフォーマンスで修了しているのですが、それが初めてのサイトスペシフィックパフォーマンスでした。大学の校舎の中にものすごく細長い無意味な廊下があったのですが、その一番奥をシアターと設定して、その細長い空間に対する振付をするという作品でした。それは普遍的な正面性とはまた違う『作らざるを得ない正面性』が提示されるんですね。そうした回路で、建築条件によって必然的に生まれてくる動きを連続させていくという作品でした。それで映像の話に戻りますが、映画の中の振付というのは、映像のために作られた振付だからすごく平面的ですよね。とにかく二次元の構図で作られている。これを正面性のない舞台に持ってきて、サンプリングとして扱うというのがまず思いついたアイデアでした。」
©️bozzo
木「二次元の素材を三次元に置いてみる、という発想で、ダンサーが置かれているということですね。」
ハ「そうですね。それで彼女たちは舞台装置というクレジットで載せさせてもらっていて、貴方達の身体はモノ、オブジェクト(物体)である、というアイデアは繰り返し共有してきました。真っ白なペンキで塗られた彫刻のような存在の身体が、映画のダンスを再現するという。」
木「なかなかそれってストイックな作業ですね。ダンサー達も戸惑ったのではないでしょうか。」
ハ「そうかも知れません。それぞれ色々なことを思っていると思います…。」
木「あとで個人的なインタビューをしてみたいです。」
ハ「その録音を後で聴きたいです。私が聞いても絶対答えないので。」
会場(笑)
木「あ、ハラさんはいない方がいい?」
ハ「そうですね、絶対話してくれない…。」
木「あと、どうしても聞いておこうと思うのは、『言葉』について。この作品はお父さんとの関係を、いわば語るものだった、そういう意味ではナラティヴ(物語)、お話だったわけですね。そのお話を批評していったりもするから、複雑な構造でもあるけれど、でもともかく『語る』という要素がありましたね。ダンスは自分で語ろうとしながらなかなかその語りのクールさを突き放すように作ることは難しいので、言葉がそこに置かれた途端に違う次元が始まっていくと思う。神村恵さん、児玉北斗さん、福留麻里さん、最近の日本の作家は、あえて喋り出すという方向をかなり方法的に実験的にやっているんですね。ハラさんのやり方も独特の佇まいを持っていて面白かったです。特に一番最初、原健さんを紹介した後のダンスが特徴的だと思いましたが、あのダンスにはどのような背景がありますか?」
©️bozzo
ハ「あのシーンは、そうですね。一番大きなきっかけというのは、ドイツへ初めて渡ったときに、言語は当然違うのですが、ボディーランゲージ(ジェスチャー)の違いも面白く感じたんです。例えば、来て、という動作をするときに、手のひらを上にして手を招くことがあるので、自分ではすぐに伝わる形で出来なかったり、ピンと来ない動作もたくさんある。この形の解釈の違いとか社会的な意味は、人のバックグラウンドによって変わりますよね。あとは親指を立てる動作(サムズアップ)も、自分か相手の身体が逆さになれば逆の意味になる。物理的な関係によっても意味が変わります。そうした条件によってある形が何かの意味を持つ瞬間のようなものが面白くて、ドイツへ渡ってから手遊びのようなものに興味が湧いたんです。「小指を立てる」というかたちからは「約束」を連想したり、ミステリアスなイメージがあったり、鼻に突っ込めばおどけた印象になり、耳を触ると心理的な動作に見えたりもする。ある特定の形が見る人によってどう見えるか、それはまさにラングリッジと言えるものだと思う。
木「特にドイツの多国籍的な環境の中では、一つのサインが複数の解釈で読み取られたりするわけで、そういうことも合わせて一つのジェスチャーが持っている力のようなものを集合させたダンスということでしょうか。」
ハ「そういうことですね。」
木「とてもユニークだなと。サインの連続が抽象化されているということですね。」
ハ「そうですね。それは私がずっと呟いている『Da(ダ)』という音にも言えて、この音は日本語だと意味を成さないのですが、ドイツ語だと『そこ(there)』になるし、ロシア語だと『はい(yes)』になるんですね。だからDa Dad Dadaというタイトルは言葉遊びで、私の中ではそこのダッド(父)is駄々っ子みたいな。あとDadaは『虚無』でもありますね。この感覚が動きを作る作業とも行き来していると思います。」
木「予想としては、喋っている発話の内容と動きが連動したり関わったり、近づいたり離れたりしていると思ったのだけど、そこの関わりはあまりない?手と手を離す動作で、お父様との距離を表しているのかなと思ったり。」
ハ「それは生理的にそうなっていると思いますね。あのシーンは一つ一つの動きを言語化しないようには努めているのですが、パーソナルスペースというものについて考えていたと思います。パーソナルスペースというのはある個人が他人に入って欲しくない物理的な距離の範囲のことですが、他人との関係を表す上でこの『距離』というワードは重要な要素だと思うんです。家族や身内であれば、赤の他人よりは近くに来られても違和感や危機感を感じないとか。ただ私と父親に関しては肉親であり、他人でもあるので、半径1mよりも近くには入ってきて欲しくない、原健の亡霊のようなものを感じながら踊っていました。」
木「案外ああいう部分に、今まで見たことのないダンスの要素を感じて、あれを『すごくいい!』と思うか『分からない…』と思うかも、自分の中ではまだ分からないんです。でも「これは何なんだろう」という興味が湧きました。
せっかく島岡さんがいるのでお聞きしておこうと思うのですが、ハラさんてどういう方ですか?」
島「とてもユニークな方です。ベルリンでも色々な形で作品を作ったり、リサーチをされている方はいます。でもハラさんの場合はデザインや現代美術の考え方をダンスに落とし込んでいて、それを言語化するのがうまい。さらに自分で咀嚼することが重要なプロセスになっていて、そうしたことは彼女のセンスや言葉の端々に現れていて興味深いです。」
木「なるほど。僕もちゃんとお話しするのは今回の事前打ち合わせが初めてで、じっくりとと2-3時間話したのですが、やはり言葉の人だなという印象です。ダンスの世界だと言葉に苦労している人は多いんです。自分の表現を言語化しづらいジャンルなのかもしれないし彼らの努力が足りないのかもしれないですが。その点はどうですか?言葉には気をつけている?ドイツの経験も大きいのでしょうか。」
ハ「そうですね、私はもともとマシンガントークみたいなのはしないんですが、文章書くのは昔から好きで、あまり意識せず身体と言葉が連動している部分はあります。さらにそれを書きとめたり、ノーテーション(譜面)として残してはいました。その上で、ドイツで衝撃的だったのは、ダンス公演の当日パンフレットの文字量の多さですね。めちゃくちゃディスクリプション(作品概要)が長いんです。作家のバックグラウンドや、文脈が事細かに記されている。一方で日本の当日パンフレットは作品の導入としてのポエム的なものが少し書いてあるだけのことが多いですね。それと比べたときのドイツの人達の言葉への執着というか、集中力を体感した部分は大きいと思います。彼らは説明責任に対してとてもアグレッシブですね。大学でもそうした教育を受けたので、今回の公演パンフレットにも大まかな経緯を書きました。」
お客様からの質問
「ハラさんがお父様に関してされたリサーチを、僕ら観客が追体験するという構造の作品でしたが、そうした歴史や事実を共有した目的はなんですか?」
「それはとてもシンプルにお答えすると、メロドラマの発表にしたくなかったということが一番大きいです。私と父の20年ぶりの再会、そして別れというドラマを語るにはとても注意が必要だと思っていて、個人対個人のドラマを演劇的に描き出すとどんどんエモーショナルなものになってしまう。原健のことを作品にしようと思った時、それはできないと思ったんです。私にとって、私と原健の中で起こったことはただのドラマティックな物語であるよりも、様々な歴史や時代に翻弄された末の小さな個人の出来事だと思っています。なんだかドラマティックという曖昧なものではなく、必ず具体的な理由や背景があるはずという直感がありました。だからそうした背景を徹底的に調べて伝えることで、それが歴史の中の小さな出来事であるという認識や、原健のやったことが文化史の中でどのような位置付けだったのか、ということを共有したかったんです。」
木「僕も個人的なお話を聞かされたという感じはなくて。そうした時代の変遷や、使われていた東京オリンピックの映像から想起される高度経済成長機のアッパーな雰囲気を目の当たりにしました。あの『アスファルト・ガール』というミュージカル映画映画もそうで、同じくアッパーな雰囲気に加えて、今の時代の僕たちの身体性との違いを肉眼で確認させられてしまう感じがありました。それは単にハラさん個人の物語を超えた地平というのは感じました。そのあたりは苦心したというか、丁寧に取り組んだ部分だと思います。」
ハ「ありがとうございます。ではそろそろ時間が来てしまったので…、この画だけ作らせてください。(『アスファルト・ガール』のDVDを手に持つ。)映画『アスファルト・ガール』当時のカルチャーがふんだんに詰まっていて面白いです。買って観てください。」
会場(笑)
木「僕知らなかった。不勉強ですみません。今日買います。」
ハ「(笑) 木村さん、本日はお越しいただきありがとうございました。作品の深い理解や新たな視点につながり大変充実した時間でした。」
木「新鮮な上演を拝見できて嬉しかったです。」
ハ「それではこれで終わりにしたいと思います。
改めまして皆様ご来場いただきありがとうございました。」